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ぼくはイエローで、ちょっとブルー。

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)をやっと読み終わった。 読み終わった後、最初付いてたブルーの帯を外した。

去年散々話題になった本で、帯の宣伝文句も”人生の課題図書”。 正直そんなに良いのか…?と半信半疑でとりあえず読み始めたけど、ページをめくればめくるほど自分が恥ずかしくなるほどに知らない”分断が起きている現実”の連続で、これほどに読んで良かったと思ったことはないくらいにまじで良かった。 私は「良かった本」を、「何度読み直しても、その度に新しく感じる・学ぶことがありそうかどうか」という基準で選別していて、この本はそれを軽く越える超絶良い本だった。

1冊全体を通して訴えられていると私が感じたのは、 「とにかくどんな場合でも人を傷つけるのは悪いことなのだ」 というごくシンプルで尚且つ難解な倫理観。 無意識に相手を傷つけていることはないか、 自分の正義は相手にとっても正義なのか、 主義や思想を強要していないのか…etc. こういう「自分は大丈夫かな」ポイントは挙げればキリがないし、 生きているうちに世界中すべての人間の気持ちを留意して言動することはほぼ不可能なんだろう。おそらく、自分は大丈夫誰も傷つけません、良識ありますと心から思っている方がやばいんかなあと思う。でも、”私は限られた価値観の中に生きているから知ろうとしなければならない”という前提の元に生きているのと、そうでないのとでは、天と地ほどの差がある。 その視点に気づいているだけで全然違う。

本の中で、書き手である日本人の”わたし(著者)”と、彼女とイギリス人の父親の血を引く”息子”は色んな人間と出会う。

雑貨屋でチューイングガムを買う友達を待っていたら車の窓を開けて「ファッキン・チンク!」と叫んでくる男の人。 黒人の少女がなかなかダンスの振り付けを覚えられないのを見て「ブラックのくせにダンスが下手なジャングルのモンキー。 バナナをやったら踊るかも」と陰口を叩いて冷笑する、クラスメイトでハンガリー移民のダニエル。 元公営住宅に住んでいてフリー・ミール制度を利用しているティム。 大雪の日に著者に連れて行かれたホームレス支援団体の事務所・倉庫で尿の匂いを漂わせていた路上生活の人々。 著者が託児所で働いていた際に出会い、当時とは違う母親の元ですくすくと成長し、「リアーナ!」と呼ばれるソランジュに似た泳ぎの上手な少女。 日本に里帰りした際に「イギリスに住んでいるからって日本人の母親がいるのに日本語を教えていないのはおかしい、日本を馬鹿にしてる」と店で突っかかってくるサラリーマン。

これ以外にも、色んな、本当に色んな人に二人は出会っている。 別に誰が悪いとか良いの問題ではなく「そう考える人もいるんだなあ」と知見を得ていくのだ。それって例えばいわゆる人種・貧困という社会問題的に捉えなくても私たちの身近な生活にたくさん感じる場面だ。 「自分とは違う生き方をしてきたんだろうけど、そう人もいるんだなあ。自分だったらどう感じるかなあ。」というのを英語で表すと、”empathy"。

一見似ているように感じる、自分と意見や境遇が似ている人間の気持ちを理解できる”sympathy"とは異なるのだ。 empathyとsympathyの違いについて書かれている5章「誰かの靴を履いてみること」は必読だと思う。 登場人物の中で”ビヨンセの妹のソランジュみたいな女の子”がキーパーソンで出てくるから、ソランジュが好きな人はそれだけで結構胸熱になる。 ソランジュのCranes in the Sky大好きなんだよなあ・・・。

この本は”本”という体裁で「本やインターネットみたいな固まった型の情報だけじゃなくて、目の前にある問題、歩けば対峙せざるを得ない生身の生きている人間から得ることを大事にしろ」というメッセージを投げてくるような、ちょっと皮肉っぽいところがある。

知らないことを恥ずかしく思うより、 知っているフリをすることの無意味さと謙虚ではない態度で誰かを傷つけることを恐れるべきよね〜。 わたしはどちらもまだできてないからこれから努力が必要。